今日はデビッドボウイさんの2回忌ですね。

 

私がフェイスブックを始めたのはこの頃でアカウントのバックに雑誌内の写真を

画像として使用してました

(この表紙の笑顔むっちゃいいです!)

 

心ん中はそ「雪深い田舎さ住んでてロンドンも行ったことねが気持ちは果てしなく電波を通じて世界へ飛んでく!ボウイの遺志はおらがつぐだ」でした 笑

 

 

 

彼の存在を知ったのはいつだろう?

 

デビッドボウイという名前は鮮烈であり

大人なのに「ボウイ=少年と名乗るなんてどれだけ風変わりなんだろう」

 

そう名前から入り、そして戦メリ(戦場のメリークリスマス)の映像に入っていきました

12歳のとき初めて日曜洋画で見ました。

日本兵士に蹂躙され砂の中で息絶えていく姿はほんとに悲しかった。

 

そして母が若いころジャズダンスやってましてレッツダンスをバックに踊ってました 笑

そのレッツダンスは彼が歌っている聞かされまた驚きました。

 

今では当たり前ですが30年前、ミュージシャンであり、俳優の二束の草鞋を

履くというのは稀有なことです

 

 

時を経て存在感を実感したのは18歳。

ヒムロックと布袋さんがリスペクトしていると知ってからです

 

 

洋楽を聞いたこともない私。

初めてCDショップに行きアルバムを手に取った時の衝撃は今でも覚えてます。

 

 

女装してソファの上で寝そべっているもの(世界を売った男)

※なんと背徳的な邦題だ

 

白塗りの顔の上に雷のペイントを施したもの(アラジンセイン)

上半身は人だけど下半身は犬(ダイヤモンドドッグ

 

パントマイムの出で立ち、ボクサー、かと思えば

顔にひげを蓄えオールバックの精悍なスーツ姿

 

これらのジャケットを数分で見た後

 

「狂ってる」「この人はやっぱり何屋なんだ?」

 

いろいろなワードが脳内を巡ってものです

 

それから約28年

 

カラオケではレッツダンスを歌いますし、アルバムを夜な夜な聴きながら

眠ることもあります

 

彼はファンのイメージを裏切り続け

イメージという貯金で飯を食う人ではありません

 

宇宙人のような人だったから仙人のように120歳くらいまで余裕に生きる人

だと思ってたから癌で亡くなるとは想像もしていなかった

 

 

 

訃報を知ったのは車内のFMノースウェーブのタックスモーニングレディオ

でアルバム「ブラックスター」のレザルスが流れたあと

 

タックスさんが低い声で「今日、日本時間。。。」というワードをゆったりと話し始めたとき

最悪なワードが脳内を巡ったことはいまでも覚えてます。

 

「えっ?まさか」

「それはないよね、うそでしょ」と呟いた

 

 

母もボウイが大好きでした。

「声に色気あるよね、レッツダンスすごいいい曲だわ」

 

レッツダンスは一般リスナーに迎合したアルバムだと評論されてきましたが

(最近はフーファイターズのデイブクロールが絶賛し見直されつつある、評論の

世界は勝手だ)

レッツダンスは我が家にとって燦々と光り輝く名曲です。

 

そして先週から「ヒーザン」を聞いてます。

二年前に他界後、購入したアルバム。

 

ブラックスターに意識を集中していたから、どちらかというと聞き流し

印象に残りませんでした。

 

でも改めて聞いてみたら一言で表現すると「ピカピカ」の音。

「人生ははかない。そしてみんなだけではなく、私も人生に失望したことがある

今もしんどくなることがある。でも丁寧に向き合っていこう。一度きりの人生を

信じ、愛して」

 

歌詞は読んでないけど、音に感謝とすべての人たちへの尊敬を向けることの

大切さを感じました。

 

私はベッドの上で「感謝、感謝、ありがとうボウイ、そしてSorry,

過去の華々しい作品に意識を奪われていた。やはり僕は愚かでした」

 

 

来年の生誕にどんなボウイ論を書く自分になっているか

成長することを誓い、これで終了とします。

 

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